10/18/2008

急変 Stroke

10月7日未明、祖母が救急車で運ばれた。

96才で受け入れ先があるかどうか心配したが、3つ目のトライで近所の総合病院へ。深夜にもかかわらず、CTとMRIの検査をしてもらえる良心的なところだった。

脳梗塞。癌や老衰の血筋のため、想定外の病名だ。

右半身マヒ、発する言葉もはっきりしない。脳の輪切り写真には、細胞が死んでいることを示す、白い部分が何箇所も写っていた。 主治医によると、治っても「要全介助の車椅子生活」とのこと。自宅での世話は無理なので、病院かリハビリ療養を兼ねた施設で余生を送ることになる。

体育の日の連休に親戚が集まり、亡くなった場合の段取りを打合せた。心の準備もできた。

祖母は、幸いそんな家族の予想を超える回復を見せている。右足は動くようになり、右腕も動くようになってきた。言葉も話し、ときどき会話が成立する。私の名前は思い出せないが、文句や痛みを訴えてもいい相手だということは、わかるらしい。

いつも不思議に思うのだが、心がへこみ気味のときに限って、知人から連絡が舞い込む誰にも話していないのに、まるで見られているかのように励ますようなメールや電話がくる。いい知らせばかりだし、自分以外のことを考えられる時間もできて、うれしいものだ。

リサイタルをやります」「ライブをするので聴きに来てください」「結婚します」「飲みにいきましょう」

ここ数年、家にいることが好きで休日に外へ出ることはほとんどなかったのだが、そういう時期が近づいているのかもしれない。祖母が面倒を見ていた庭の草花を眺めながら、そんなことをぼんやり考えている。

10/04/2008

メンテナンス5 Checkup results


「この子は百まで生きる」

私が生まれたとき、母はそう確信したらしい。3800グラム、ふてぶてしい顔の写真が納得させる。

100歳にはまだ届かないが、2年前から同居している祖母は、今年96歳。要介護2ながらその強さに敬服する。

毎朝5:00起床、着替えて髪を整え、ベッドを直して洗面所へ。台所で、ご飯はあるか、ゴミの始末は大丈夫か確認後、庭へ出て植木の見回り。

孫の私は、祖母の物音と携帯の目覚ましでぼんやり起き上がり、ボサボサ髪・パジャマのまま顔を洗い、クイックルワイパーで床を撫でてお湯を沸かす。ご飯、味噌汁、漬物、緑茶パン、ハム、チーズ、紅茶。共通の献立は果物と青汁、の朝食。

本当に血がつながっているのか不思議なくらい、帳面な祖母ぐうたらな孫。お互いに干渉せず、遠慮があるから成り立っているのだが、この人が姑だったらと思うと、ぞっとする

よくある話だが、祖母は1.5年前に転倒した。大腿骨を骨折して手術するも、翌日にはむっくり起き上り、出されたものをすべて食べた。ボケるどころかリハビリに集中、3ヶ月で歩けるまでに回復

退院後、リハビリを兼ねたデイケアへの通い初めは「体の利かない年寄りばっかりでつまらない」と文句を言い、白内障の手術を受けるまでは「見えるようになりました。次の年死にました。じゃあ、お金がもったいない」と遠慮し、術後は「こんなに見えるなら、もっと若いころ(80代)にやっておけばよかった」と、裸眼で新聞を読む。

薪で炊事をし、水汲みや洗濯などの重労働で鍛えられ、6人の子供を生み、姑や小姑のいる大家族でもまれ戦争をくぐりぬけた強さを備える祖母。家電に囲まれ、息苦しい人間関係をできるだけ避け、ノンキに生きている私。生き方を変えるつもりはないのだが、祖母から学ぶものは多い。

ところで、先月受けた健康診断結果が出た
ありがたいことに、すべて「異常なし」。自分では意外な気もするが、この1年の規則正しい生活で、元に戻ったのかもしれない。大好きだったアルコールが飲みたくなくなったのは、「もう一生分飲んだ」ということか。

楽して大きくなった人間が、祖母の血を継いで、母の言うとおり長生きするのかどうかはわからない。明日突然死ぬことになっているかもしれない。でも好きに生きてこられたし、誰かへの恨みや借金も(貯金も)ない。だから思い残すことはない。(恨まれるようなことをしていないことを祈る)

まぁとりあえず、健康第一。ぼちぼちいきましょう。